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2010.02.24(水)
驚くべき計画都市、モヘンジョ・ダロ
パキスタン南部のシンド州にあるモヘンジョ・ダロ遺跡は、人類四大文明のひとつであるインダス文明の姿を今に伝える都市遺跡で、世界遺産に登録されています。
チベットを水源とするインダス川は、その下流域に肥沃な土地をつくり、農耕による恵みを与え、やがてインダス文明を育みました。紀元前2300年ころには都市が出現しており、モヘンジョ・ダロは約600km上流のハラッパーと並び、インダス文明を代表する都市です。
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図1は、ランドサット5号が2009年9月に撮影した画像に、ALOS(だいち)が同じ2009年9月に撮影したモヘンジョ・ダロとその周辺画像を埋め込んだものです。画像の両端が薄茶色に見えるのは、パキスタン南部が砂漠地帯であるためです。また、画像の中央が緑色に見えるのは、インダス川が北(上側)から南(下側)に流れ、幅100km以上の流域が耕作地として利用されているためです。
モヘンジョ・ダロは1921年、インド人の考古学者R・D・バナルジーにより発見されました。それまではストゥーパ(仏塔)があることから、2〜3世紀の仏教遺跡と思われていました。しかし調査が進むと、仏教遺跡の下からインダス文明を象徴する印章が発見されたのです。そして、ここが計画的に建設された都市だったことが明らかになりました。
図1のほぼ中央に見えるインダス川沿いにモヘンジョ・ダロはあります。その範囲は、およそ1.6km四方です。インダス文明の都市の中では最大級の規模ですが、それより約1,000年前に栄えたメソポタミア文明の大都市ほど大きくはありません。
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図2 モヘンジョ・ダロ遺跡の拡大画像
(Google Earthで見るモヘンジョ・ダロ遺跡(kmz形式、4.04MB高解像度版))
遺跡を拡大した図2からもわかるように、モヘンジョ・ダロは、西(左)側の城塞部と、東(右)側の市街地とに分かれています。
城塞部には、沐浴に使われていたと考えられる長辺12 m、短辺7 m、深さ2.5 mの水槽跡のほか、長辺約46 m、短辺約23mの穀物倉庫とされる建物の基礎部分などが見つかっています。重厚な建造物があったことから城塞と呼ばれていますが、戦争のための施設は見つかっていません。
一方の市街地は、低い土地の広い範囲を占めています。東西南北に通る幅8mほどの大通りが、市街地をいくつかのブロックに分けています。さらに、碁盤の目のように通る中小の幅の道が家々を区切っています。
建物は、4:2:1の寸法の大量の焼成レンガでつくられています。大きな家には井戸があり、多くの家には沐浴室がありました。また、各戸から出た下水は、路地につくられた排水溝へ導かれるようになっています。これらのことから、モヘンジョ・ダロが、緻密な都市計画と高度な測量技術に基づいて建設されたことがわかります。今から4,000年以上も前に、これほど整然とつくられた都市が存在したことは驚くべきことです。また、通常、都市は少しずつ発展していくものなのに、モヘンジョ・ダロが、はじめから完成した都市だったのは大きな謎です。
遺跡の北側に見えるのはモヘンジョ・ダロ空港です。北西約80 kmのサッカルと南方約300 kmのシンド州州都カラチから国内線が連絡しています。
豊かに暮らしていたモヘンジョ・ダロの住民たち
インダス文明を担っていたのは、現在南インドに多いドラヴィダ系民族だと考えられ、モヘンジョ・ダロには、3万〜4万人が暮らしていたと推定されています。
モヘンジョ・ダロからは、日常生活に使ったと思われる土器、人物や動物をかたどった土偶、交易の際に使ったと思われる印章、ビーズなどの精巧な装飾品などが見つかっています。これらの産物はメソポタミア地方やペルシャ湾岸地域との間で交易され、東西の文明の交流が活発に行われていました。文字は400種類ほど見つかっていますが、今のところ解読されていません。強大な権力をうかがわせる王宮や神殿のようなものは見つかっておらず、人々の身分は比較的平等であり、都市の人々は職業によって分かれ、豊かな生活を送っていたと考えられます。
謎に包まれたインダス文明の終焉
インダス文明は、紀元前1,800年ごろまで栄えますが、そのころから急速に衰え、間もなく消失してしまいます。
その原因については、地殻変動によってインダス川河口の土地が隆起して大洪水が起き、塩害のために農耕ができなくなったとする説、インダス川の流れが移動し、交易ができなくなったとする説、レンガを焼くために樹木を伐採しすぎ、砂漠化が進行したとする説などさまざまな説がありますが、どれも確証はありません。
その後、紀元前1,500年ころに、イラン高原からアーリア人が侵入し、先住民を支配します。アーリア人はさらに紀元前1,000年ころにインド東部のガンジス川へ進出していきました。
しかし、モヘンジョ・ダロで見つかっている印章に、後のインドで神聖視される牛や、シヴァ神の原型と思われる神などが描かれ、インダス文明が、その後のインド文化に引き継がれたことがうかがえます。文明そのものは滅びても、モヘンジョ・ダロに象徴されるインダス文明は、現代にまで脈々と伝えられているのです。
観測画像について
観測衛星: | 陸域観測技術衛星「だいち」(ALOS) |
観測センサ: |
高性能可視近赤外放射計2 型(AVNIR-2)及び パンクロマチック立体視センサ(PRISM) |
観測日時: | 2009年9月8日06時17分頃(世界標準時)(AVNIR-2、PRISM同時観測) |
地上分解能: | 10 m(AVNIR-2)および2.5 m(PRISM) |
地図投影法: | UTM(ユニバーサル横メルカトール) |
AVNIR-2 は、4つのバンドで地上を観測します。図は、いずれも可視域のバンド3(610 〜 690ナノメートル)、バンド2(520〜600ナノメートル)とバンド1(420〜500ナノメートル)を赤、緑、青に割り当てカラー合成しました。この組合せでは、肉眼で見たのと同じ色合いとなり、次のように見えています。
濃緑: | 森林 |
明るい緑: | 農地、草地 |
明るい青灰色: | 市街地 |
茶色: | 裸地、砂漠 |
白: | 建物、雲 |
PRISMは地表を520〜770ナノメートル(10億分の1メートル)の可視域から近赤外域の1バンドで観測する光学センサです。得られる画像は白黒画像です。前方、直下、後方の観測を同時に行いますが、ここでは直下視の画像を使っています。
AVNIR-2の、バンド3 (610〜690ナノメートル)、バンド2 (520〜600ナノメートル)とバンド1(420〜500ナノメートル)を赤、緑、青色に割り当てカラー合成したAVNIR-2画像を「色相(Hue)」、「彩度(Saturation)」、「明度(Intensity)」に変換(HSI変換)し、明度をPRISM画像で置き換えて再合成することで見かけ上、地上分解能2.5mのカラー画像を作成することができます。図2はこのように高分解能の白黒画像と低分解能のカラー画像を組み合わせて合成された高分解能のカラー画像、つまりパンシャープン画像です。
観測衛星: | ランドサット5号 (米国) |
観測センサ: | セマティック・マッパー (TM) |
観測日時: | 2009年9月17日(世界標準時)(図1) |
地上分解能: | 30 m |
地図投影法: | UTM(ユニバーサル横メルカトール) |
ここでは米国地質調査所の画像検索サイト USGS Global Visualization Viewerから無料でダウンロードしたデータを用いました。可視域のバンド3 (630〜690ナノメートル)、バンド2(520〜600ナノメートル)、バンド1 (450〜520ナノメートル)に赤、緑、青色を割り当ててカラー合成したので、肉眼で見たのと同じ色合いとなります。